真田昌幸が二度も徳川軍を倒した戦術を現代のビジネスに活かすには?

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真田昌幸の戦術

戦国武将では真田幸村が有名ですが

調べていくと、真田昌幸の戦術の凄さが

いろいろなところで出てきます。

ネットを調べても出てきますし

ユーチューブでもよく真田昌幸のことが

出てきます。

そして、調べていくととんでもない

戦術家だったようです。

真田家の家紋の六文銭

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真田家といえば、六文銭の家紋が有名ですが

これは三途の川を渡るときのお金で

六文を払って三途の川に行くそうで

いつでも三途の川を渡る覚悟でいることから

この家紋になったようです。

長篠の戦いで敗れた武田軍についていた

真田昌幸ですが、親方を失って

先祖の地の信州上田に帰ります。

上田に戻ると干ばつで作物が育たなくて

農民が困っていました。

そして、農民は昌幸に年貢を減らしてくれるように

頼みます。

そこで、出した昌幸の答えが

年貢を半分にしようというものでした。

これには、農民は大層喜びました。

これで、農民から信頼を得ます。

次に、家臣団の充実です。

武田軍から呼びたいのですが

年貢を半分にしたために台所事情が

厳しかったので、悩みます。

そこで、昌幸は武田家の家臣に一等地を与え

重要なポストに就かせました。

その心遣いに、かつての武田家の同僚たちは

昌幸を慕います。

そして、次に農民たちに土地を与えます。

農民は自分たちの土地を持てたことから

自分たちの土地は自分たちで守ろうという

気持ちが芽生えます。

その後、北条氏が攻めてくるので

城を築かなければなりません。

人手が足りないと思っていたところに

民衆が城造りに協力してくれます。

なんと、女や子供達までも手伝います。

信長以降は兵農分離の世の中で

農民と武士を分ける考えの中

昌幸は武士も農民も同じであると考え

民衆からも慕われていたようである。

「人それ自身が城である」

「人それ自身が石垣である」

という考えのもとみんなで戦うという戦術を取っていた。

1585年に徳川家康が突然に土地を少しよこせと

無茶振りをいってきます。

昌幸の部下たちは、徳川軍は強いから

少しだけやっちゃいましょう。

しかし、昌幸はいや、少しやったらもっともっとって

全部持ってかれちゃうんじゃねー!

まじ、やばくねー!とは言ってないけど

そんな感じらしい。

だんだんふざけてきましたが、わかりやす方がいいですよね。

そして、家康は怒ります。

土地くんねーんかい!

やっつけちゃうよ!

「急いで真田を退治せよ」と言ったようだ。

1585年8月徳川軍は7000の軍隊を

上田に送り込みます。

一方、真田軍は2000の軍隊で戦わなければなりません。

昌幸は上田城に籠城します。

昌幸の部下が農民は足手まといではありませんかと

言います。

昌幸は、

「我が城下に住むもの慈しまなければならない」

と言います。

そして、徳川軍が攻めてきます。

真田軍は攻撃しないで、上田城に籠城します。

徳川軍が上田城に攻め入ってきた時、

昌幸は

「戦記は熟した、さあ攻めかけよ」

と号令をかけます。

徳川軍を引き寄せて一気に攻撃するつもりなのです。

崖を上ってくる、徳川軍に対して

上から一気に大木を落としてやっつけます。

さらに侵入してきた、徳川軍に鉄砲で

一気に攻撃します。

徳川軍は次々にやられます。

さらに両サイドにいた、真田軍が

一気に襲いかかります。

これは、元武田軍の軍師たちです。

これはやばいと逃げ出す徳川軍ですが

これも予想どうりで、城下町に逃げ込んだが

あらゆるところに柵を作って

出られないようにしておきました。

すかさず、真田軍は火を放ち

城下町は火の海となりました。

民衆はすべて上田城にいたので

大丈夫です。

この結果、徳川軍の死者は1300人で

7000人いたから、約5人に一人が死んだのです。

一方、真田軍は2000人中の死者は40人でした。

この頃、最強だった徳川軍を破った

真田軍はすごいことで、一躍有名になります。

この勝利は、昌幸の戦略が素晴らしいことと

すべてうまくいったことが勝利を

もたらしました。

何と言っても一番大きいのは

民衆を味方につけることが

できたことだと思います。

このように、リーダーになるものは

多くの人々に慕われないと

ビジネスもうまくいかないということが

学べるんではないでしょうか?

では、多くの人々に慕われるには

どうすればいいのか?

これをいつも考えていることが

大事になってきます。

多くの人々に慕われるには

どうすればいいのかの答えは

ありません。

これは、自分で考えて実行するしかないのです。

もし、そのやり方を誰かに教えてもらって

やったとしても、きっと慕われることは

ないでしょう。

いかに自分で考えて出来るかが鍵です。

真田丸が人気なので、真田幸村について

調べていたら、色々な学びがありました。

歴史ってこのように見ると

面白いですね。

中学校の先生が面白く歴史を教えれくれたら

もっと成績も良かったかもね。

いや、先生のせいじゃなく

勉強しなかったからでしょ!